息子が一蘭というラーメン屋に行ったと聞いて、行くことにした。
博多ラーメンの店である。
溝口には博多ラーメンという、ものすごくおいしい博多ラーメンがある。600円でとてもおいしい。
私はなんでんかんでんにも行ったことがあるが、そこよりもずっとおいしいと思っている。
原宿で仕事があった時、近所に一蘭があるという事を知っていたので初めて行ってみた。
ラーメンが780円くらいだった。高杉晋作!
注文するといろいろ書く紙を渡された。
硬さや油、ネギの種類などを決めるものだ。それはよい。それはまだ理解できる。
しかしその中に一つだけ、どうしても理解できないものがあった。
チャーシュー、ある、なしの選択である。
えっ?あってもなくても同じ値段なんでしょ?じゃあ、ありに決まっているジャン。なぜにチャーシューのあるなしの選択を迫られるのか、よくわからなかった。まあ嫌いな人もいるのだろう。
思わず、「なしを選択した人の余ったチャーシューもおまけにお願いします。」と書いてやろうかと思ったが、やめておいた。(笑)
まあそれなりにおいしかったが、たぶん二度はいかないだろう。まずいとかではなく、私はやはりラーメンは600円でないと許せないたちなのだ。
ところで、博多ラーメンを食べる時に、硬さの選択ができる。
硬めという選択等だ。
バリ、はりがねなどもある。
息子と行った時の事だ。
息子が替え玉でバリを頼んだ。
父親としては、負けるわけにはいかない。本当は普通の硬さが好きなのだが、父親の威厳がある。
「替え玉、ハリガネで!」
どうだ息子よ、父は偉大だ。やった、私はやった。まだまだ親を超えられるとおもうなよ。
すると、息子がまた替え玉をした。
「すみません、粉落としで。」
なんと粉落としとは!!!息子よ、ついに父を超えたか!
いや、まだ負けるわけにはいかない。私は考えた。考えに考え、そして、父の威厳を保つため子供を超えなければならないと思った。
そして、私は言った。
「すみません、替え玉、そのまま。」
え?ラーメン屋のおやじが聞き返してきた。仕方なく私は「粉落としで。」と言い換えた。
しかし私は息子に言った。
同じ粉落としだが、私は「そのまま」を注文した。それが無理だから粉落としにしただけだ。だから私はお前に勝利したのだ。父を超えられると思ったら大間違いだぞ。と。
何言ってんの?という顔をした息子は3回目の替え玉をした。
その時息子は小さな声でこう言った。
「すみません、替え玉、小麦粉で。」
えっ?ラーメン屋のおやじが聞き直した。
息子は「あ、粉落としで。」と言い直した。
やられた。私は完膚なきまでにやられた。そのままではなく小麦粉そのものを注文されてしまった。原材料だ。これには参った。
息子は父を超えたのか。もう、父の威厳はないのか?
悲しくしかし、少しうれしい気分になった私だが、やはりまだまだ大学生の息子に負けるわけにはいかない。
世の中の厳しさ、つらさを父は体で息子に教えなければならないのだ。絶対に、絶対にこんなところで息子に負けるわけにはいかないのだ。
しかし、相手は小麦粉と来ている。これを超えるものが果たしてあるのか?最初は「小麦」を考えた。しかし、これは邪道だ。小麦粉も小麦もさほど変わらない。これでは世の中の厳しさを教えることはできない。
どうする、父の威厳、父の尊厳は?
そう思った時、私はついにその答えを見つけた。小麦粉を超える最高のアンサーだ。
私はゆっくりとラーメン屋のおやじに向かってつぶやいた。
「すみません、替え玉。土と種で。」
おしまい。